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まだまだ秋とは名ばかりか、
それでも草むらからは虫の声が涼しげな奏でを囁く夕間暮れ。
素人半分の若造なくせに、だからこそ危機感が薄いのか、
ポートマフィアを舐めているとしか思えぬ浅慮、
此処ヨコハマでの非合法薬物の密売を
脅しても脅してもちょろちょろと続ける子ネズミへ。
小者へでも目こぼしはないぞとの見せしめを兼ね、
上級幹部にあたろう彼女が わざわざその手で仕置きを手掛けた。
真っ黒な人影に気配もなく追いかけられ、
四方八方いたるところから不意打ちで飛んでくる黒い刃にちくちくと総身を刻まれ、
最後に背後から鋭い一撃食らわせられて。
運がよければ助かるかもね、でも次はないぞと、最後通牒を告げておいた。
保身の手段として無視できぬ噂として、
彼らの仲間内には怪談めいた警告がきっと伝わるだろうし、
これでも懲りないお馬鹿なら、冗談抜きに暗殺される。
それも、こちらがわざわざ出ていかなくとも、
商品を渡して直接の指示を出してた兄貴分あたりから、
後難を恐れてのこと、口封じされるのがオチだろう。
斯様に “楽して儲かる”なんていう美味い話なぞあるわけがない。
真に要領よくやってゆくにつれ どんどんと悪辣になり、
人を人と思わなくなった方が生き残り、自身も人としての何かをすり減らす。
それこそ“異能”でも持ち合わせない限り、
弱い者はどう足掻いてもそんな生き方しか出来ないのが裏社会なのであり、
人としては最低なそんな墜ち方が嫌だと思う高潔な存在は
最初からこちら側に落ちてはこないし、已むを得ず落ちたとしてもまず長居はすまい。
“いたとしたら、克己心が鋼の徒か。”
或いは、判っていながらも抜け出そうとしない大馬鹿者だなと。
我が身もそうと自虐したいか、薄い口許歪ませたものの、
「…。」
細い背に降ろした漆黒の髪を揺らし、
ゆるゆるとかぶりを振ると顔を上げて切り替える。
あの人がいる場所と同じ、グレーゾーンに例えられる “トワイライトゾーン”。
そんな黄昏どきの曖昧な気配が、
非情で鳴らした黒獣の君へ 珍しくも物思いを齎したようだったが、
そんな詰まらないことへ浸っている場合じゃあない。
今宵の逢瀬の場として指定されていたのは太宰の持つセーフハウス。
お互いに忙しくて数日ほど逢えなんだ、
それがための “彼の人不足”を埋められる宵を前に、
下らぬことに囚われてどうするか。
やや寂寥に沈んでいた顔つき、それは甘くほころばせ、
そんな自分の現金さにこそ含羞むように口許覆い、
気配ごと姿を消した、黒の姫御だった。
***
外観はあくまでも質素で地味な低層マンション、
だがだが入ってみれば 住人各々の好みや勝手に極力合わせたオーダータイプのそれだろう、
なかなか凝ったフラット揃いの住まいを、
探偵社の寮とは別の足場として持つ太宰嬢であり。
ロビーのエントランスに設置されたインタフォンパネルでのやり取りでは気づかなんだが、
部屋の前へ到着すると やはりインタフォンからの応じがあって、曰く、
【 そのまま上がって来てぇ。】
それもまた可愛いがりの延長か、普段ならドア付近で待ち構えているものが、
勝手に上がってこいとのそんな風な指示が来た。
特に単調じゃあなく、むしろどこか愛嬌滲ませたお声ではあったから、
機嫌が悪くての突っ慳貪なあしらいではないらしかったが。
それと判る芥川としては、だが、此処では滅多にない運びだったため、
あれれ?なんかおかしい??と不審を微かに覚えつつも
言われた通り、渡されていた合鍵で鋼のドアを開け、
お邪魔しますとの恐る恐る、玄関を上がってリビングへと足を進ませれば、
「ごめんごめん、でも良いところに来てくれたね。」
リビングのソファーにて、上半身がほぼ諸肌脱ぎとなったお師匠様が、
何やら四苦八苦しておいで。
「…太宰さん?」
いきなりの大胆なお姿が眩しいと狼狽えかけたものの、
それを羽織っていたらしい椰子の葉柄のデザインシャツが
ソファーの座面にくしゃくしゃと脱ぎ散らかされており。
簡単にまとめた髪を片側の肩から前へと流しての背中を大きく露出して、
そこへ届けとばかり、うんうんと上から下から手を伸ばしておいでで。
“…湿布。”
傍らのローテーブルに
やはりやや乱暴に封を切った平たいパッケージが投げ出されていて。
芥川も頻繁に世話になってる薄荷の香のするそれを見て、
やっと何が起きているのかに察しがついた。
どうやら背中へ湿布を張りたいらしいのだが、
ちょっとばかり身体が堅いか、いやいや傷めているからこそ無理が出来ぬか。
思うように運ばなくってこんな姿になってしまい、
それで玄関まで出て来れなんだらしくって。
何でまたそんな…と見やったお背中、
そりゃあ婀娜っぽくも髪を除けての広く露出された白い肌には、
丁度 下着の留め具が横断するすぐ下あたりに、
ところどこ濃い鬱血が痛々しい、
赤々しい痣が結構大きく刻まれておいでじゃあないか。
かいがら骨の陰のそれ、
ようよう見やってはっと気づいたそのまんま、
狼狽気味に慌てて駆け寄った芥川嬢のその様子こそ愛いなぁと
苦笑をこぼした包帯必須のお姉さま。
「…どうしましたか?」
「何ね。」
今日の仕事で柄にもなく積極的に荒事にかかわってね。
あの小型大猩々ほどの膂力は持ち合わせていないが、
体の仕組みはようよう心得ているから、
振り下ろされた剛腕を要領構えて受け止める自信はあったし、
刺客による不意打ちなんて、それこそ馴染みのある展開、
ねじ伏せるのは造作もなかったが、
「オトリ役の敦くんを庇ってた関係で、
無防備になってた背中を思い切り踏みつけられたのが痛んでね。」
怪我は付き物だし、何となりゃわざわざの自傷で既にあちこち傷だらけの身。
切り傷に比べりゃあ大したことないと高をくくっていたが、
とはいえ、背中というのはどんな身動きとも連動するので、地味に響いて痛くって。
湿布を張るのも一苦労でねと あっけらかんと仰せだが、
「〜〜〜〜っ 」
「怒らなくていいから先に湿布貼ってよ。」
このお人の背を踏みにじるとは罰当たりなという憤懣憤怒が
その身のうちに轟っっと一気に立ち上ったらしい黒姫さんなのは当然の流れ。
実行犯かそれとも身を挺して庇われた虎の子へか、
むっかり来たらしかった弟子が、
外套のみならず自慢の黒髪までも逆立たせ、勇んで立ち上がらんとした気配、
言う前から判っていたよなすっぱりした間合いで呼び止めて。
仕返しよりも今痛いの何とかしてほしいのだよと、
肩越しに振り向いて来て そうと急かすものだから、
「あ、はい。」
気が利きませんでとあっさり鎮火し、受け取った湿布をそろりと貼って差し上げる。
ヒヤッとしたのか一瞬身をすくませたのがまた痛々しいと、
なるだけ そおっとそおっと隅々までをしっかと貼り付け。
剥がれないようサージカルテープで四方を固定し、
包帯は?と訊けば、それはいいやとかぶりを振るので、
ブラウスを広げて肩へ掛けて差し上げて。
あまりに意外な様相に気が動転したものか、
そういや外套も着たままでいることへ、今の今 気が付いた黒獣の姫。
ああいけないと前の合わせへ手をやったが、そこへと響いたのが、
Trrrrrrrrrrrrr、Trrrrrrrrrrrrr
という、携帯端末の呼び出し音。
仕事で使うものなれば、特に個性のあろう設定にはしておらずで、
初期設定のままの単調なコールはよく響き、
「あ…。」
どうしようかと一瞬戸惑ったのは、目上の姉様の前だったから。
任務かかわりの連絡であれ、出られない状況もあろうよと、
それこそ臨機応変の利く人揃いな職場なので、
出なくとも 不遜だ不心得者めとの誹謗はされぬ。
急ぎの場合、電子書簡へと切り替えてくださるのが通例なので、
いっそ電源から切っておけばよかったと、
至近においでの姉様への不敬にならぬかと、一瞬怯んだという順番だったのだが、
「出たら?」
思えば、日頃だってこういう場合、咎め立てなんてされはしない。
仕事の連絡だとしても、
かつて自分もいた職場だ、聞き耳なんて立てないわきまえくらい有る身だし、
プライベートならなお結構と思うのか。
話していいよとの対処をしてくれる太宰で。
ブラウスのボタンを合わせつつ、うんうんと頷いてくれるのへ はいと返し、
外套のポケットから端末を取り出す。
液晶を見やると非通知となっており、だが、
相手もまた居所を明かしてはいけない任務中なら、それもまた当然の処置なので、
実は任務のたび設定を変えているそれ、
自分の端末の番号を知っているからには身内の誰ぞだと見做し、
通話のボタンを押してから、薄い端末を自身の頬へと押し当てる。
【 ………。】
「…もしもし?」
こちらの名を問うでなし、名乗るでなし、
妙な沈黙が続いたものだから。
放っておいて切ればいいもの、つい、呼びかけてみれば、
その一息が終わらぬうち、ぷつっと向こうから切れてしまう。
余程に静かなところから掛けていたものか、
相手の吐息のようなものが聞こえたような気がして。
こちらが出たこと伝わってはないものかと思い込んでのことだったのだが、
「……??」
偶然つながってしまった間違い電話という奴だろうか。
そういう意図せぬ事態に遭わぬよう、割と特殊な番号設定をしているのに、
それでもつながるものはつながるものかと
微妙な奇遇へ眉を寄せつつ、何とも言えぬ心持ちのまま顔を上げた芥川嬢だったが、
“……え?”
相手の反応を堪能するいたずら電話のように、
何も、吐息しか聞こえなかった通話だったのへ
怪訝そうに顔を上げた自分の視野に入った太宰は、
関心ないよと聞かぬ振りで明後日を向いてるものと思ってたところが、
むしろ じいとこっちを凝視していて。
どうかしましたか?思い当たることでも?と、
訊こうとしかかったその間合いへ、
「あ……。」
視野がいきなり青白く光り出し、
何だ何だと身構える間もなく、くらりと貧血のような眩暈が襲った。
ああこれはと、覚えのある感触に、何かしらの異能が襲ったのだと気づいたが、
異能を無効化できる太宰がいるのだ、案じなくともと
そこはそれこそ機転も働く。
電話を通して異能を仕掛けるという手合い、
そういやいたなぁと思い起こし、
確か太宰が異性になってしまったのだったと、そこまで思い出してしまったのは。
一瞬揺らいだ視野が居心地悪くて、何度も意識して瞬きをしたその先で、
案じるようにこちらを見やっておいでの姉様が、
気のせいだろうか、髪も短くなっての、ちょっぴり精悍な面立ちに変わったように見えたから。
意図して構えぬ折はそれは寂しげな貌になる、そんな繊細な細おもてが、
可憐で嫋やかな肩や、包帯をまとわせつつも遜色なく手弱女の色香を匂わせるデコルテが、
何故だか、頼もしい存在感もつそれへと入れ替わってしまって見えたから……。
to be continued.(18.09.04.〜)
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*怪しき黒幕さんとの対話でした。
禍狗姫の体験談なので、
女性の太宰さんとのやり取りを紡がせていただきましたが、
青年の方の芥川氏も同じようなやり取りをした末に…だったと思われ。
まっくろくろすけは 太宰さんの側だったらしい?

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